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(中国語)江月山玉祥寺

2025年04月10日

<簡体字>

玉祥寺

玉祥寺位于菊池市北部。这座日本佛教禅宗曹洞宗寺院建于1452年,与菊池为邦(1430-1488)治下的文化繁荣时代紧密相关。面对家族政治和军事力量衰退的局面,菊池为邦将目光转向振兴地方文化。他为领地内的武士和城镇居民提供受教育机会,鼓励他们追求在知识和精神上的精进。在菊池为邦和其子菊池重朝(1449-1493)的扶持下,菊池地区逐步发展为佛教和儒家学术中心,在诗歌和茶文化方面也结出了丰硕的果实。

玉祥寺是菊池为邦建造的菩提寺(家庙),菊池为邦和菊池重朝父子的陵墓左右相依。寺内佛殿和其他建筑在遭受火灾损毁后几经重建,只有本堂(正殿)内悬挂的青铜梵钟历经数百年保存至今。这口钟铸造于1496年,现在被当作“殿钟”在诵经或法会中用于宣示。本堂内中央佛坛的三方墙壁上,供奉着16尊开悟罗汉像。玉祥寺的本尊是代表智慧的大势至菩萨。

关于菊池氏(菊池一族とは)

其他文化财产信息板也有多种语言版本。(他の文化財説明板も多言語化しています。)


<繁体字>

玉祥寺

玉祥寺位處菊池市北部。這座日本佛教禪宗曹洞宗寺院建於1452年,與菊池為邦(1430-1488)統治時期的文化繁盛緊密相關。隨著家族政治和軍事勢力的衰落,菊池為邦將目光轉向振興地方文化。他為領地內的武士與居民提供教育機會,鼓勵他們追求知識和精神上的探索。在菊池為邦與其子菊池重朝(1449-1493)的帶領下,菊池地區成為了佛教與儒家學術中心,詩歌與茶文化也蓬勃發展。

玉祥寺是菊池為邦建造的菩提寺(家廟),菊池為邦與菊池重朝父子的陵墓左右相依。寺廟內佛殿與其他建築物多次毀於火災後又幾經重建,只有本堂(正殿)內懸掛的青銅梵鐘歷經數百年歲月保存至今。梵鐘於1496年鑄造,現被當作「殿鐘」在宣示禮拜儀式和祈禱時敲響。本堂內中央佛壇的三面牆上,供奉著16尊開悟羅漢像。玉祥寺的本尊佛為代表智慧的大勢至菩薩。

關於菊池氏(菊池一族とは)

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江月山玉祥寺

 江月山玉祥寺は、20代為邦が竺菴仲尖和尚を開山として迎え、享徳元年(1452)に菩提寺として建立したといわれます。この寺にある梵鐘は高さ68㎝、口径38㎝で、龍頭は高さ14cm、幅14cmで2頭の龍が鐘頭をかむ形をしており、高さ22㎝の池の間に 「肥後州菊池郡 江月山玉祥禅寺 之堂前 明応五年(西暦1495年)丙辰閏二月日当住香淳再興 大工藤原冬次」と7行に印刻があります。笠は高さ3㎝、径23㎝で円みを帯びてなだらかで、上帯は三線をめぐらすが文様はありません。乳の間は4区あり、乳が4段・4列あります。中帯の下段と下帯とには連続した蓮華文がみられます。鎌倉期の梵鐘に見る力強さ、緊迫感には乏しいですが、温和で好感な形は、肥後に残る室町梵鐘の中で注目され、県重要文化財に指定されています。宝暦10年(1760)、境内より掘り出されたものと伝えられ、そこに銅の花瓶と古銭141枚もあったといわれています。

 江月山玉祥寺の山門を入ると、左手に墓地があり、玉垣の囲いの中に宝篋印塔が2つ並んでいます。これは20代為邦、21代重朝のものです。

 この寺院に保管されてきた、いわゆる玉祥寺文書は、『熊本県資料中世編』に一部収録されていますが9通あり、長禄4年(1460)為邦による寺領安堵状、寛正4年(1463)の玉祥寺書付寺領次第、荒木日向の寺領文書、近世期の宛行状3通などです(現存は2通)。寺領は菊池・合志・山鹿の3郡に合わせて32町余あり、その他に玉名郡内にも寺領を有していたことがわかっています。

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