懐良親王!
第3弾 南北朝・菊池一族歴史街道スタンプラリー開催!!!
南北朝・菊池一族歴史街道「史跡カード」登場!!
1359(正平14)年、九州を二分する北朝勢と南朝勢の衝突が勃発します。日本三大合戦に数えられるこの戦は、筑後川を南...
一方、北朝方は武光自ら渡河地点を偵察したことを知り、軍議を開きました。 原田・松浦・秋月・三原らの諸将は、...
武光はそれまでに得た情報を元に、次の作戦を立てました。8月6日夜半より、長男・武政が300人の兵を率い、岩田を通...
少弐(しょうに)氏は、元は武藤といい、武蔵国に領地を持っていました。源平合戦の後、武藤資頼という人物が源頼朝...
大友氏は元々相模国(現在の神奈川県)に領地を持つ東国武者でしたが、源頼朝から豊後、筑後、肥後三国の守護に任命...
足利尊氏は室町幕府を開いた武家方(北朝方)の総大将ですが、実は菊池一族とも深い関わりがあります。 元々尊氏...
同田貫は「延寿」という刀鍛冶の末流にあたるのですが、この延寿一族こそ、菊池一族のお抱え鍛冶として活躍した人...
延寿一族の功績として、13代武重(たけしげ)の代に考案されたといわれる『菊池千本槍』があります。図:菊池千本槍の...
15代武光の時代、南朝方に味方していた菊池一族は、後醍醐(ごだいご)天皇の皇子懐良(かねなが)親王を迎え、菊池は九...
信仰が菊池一族に大きな影響を与えた例としては、13代武重が土地を寄進して建立された鳳儀山聖護寺(ほうぎざんしょ...
菊池一族と聖護寺の関係を一変させたのは、15代武光でした。幼少の頃、大きな恩を受けた博多の大方元恢(たいほうげ...
菊池一族関連の神社と言えば、まずは菊池神社を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、菊池神社は明治時代に菊池...
第一章 武光公が築いた絢爛たる都其の一 城下町菊池・総構え 武光公が南朝のプリンス・懐良親王(かねなが...
懐良親王と武光懐良親王が派遣された当時、九州の南朝方はまとまった勢力とは言えませんでした。そこで後醍醐天皇...
第一章 武光公が築いた絢爛たる都其の三 菊池本城・主郭ここは菊池本城のうち、現菊池神社がある主郭です。天守...
鎌倉時代の中ごろ、中国では元のフビライ=ハンがアジア全域への勢力の拡大に意欲を燃やし、朝鮮半島の高麗に続いて...
日本侵略を決意した元は、1274年(文永11)年10月5日対馬を制圧し、続けて壱岐を襲い、ついに同月20日博多湾西方から九州...
1281(弘安4)年、元軍は再び九州へと攻め寄せました。『蒙古襲来絵詞』は竹崎季長が6月8日、生の松原にて武房と再会し...
安政の大獄は、薩摩藩も大きく関係した将軍の後継問題から発生した出来事ですが、京都の僧である月照が標的の1人と...
生き恥を晒す格好での日々を余儀なくされた西郷でしたが、薩摩藩はこれを逆手に取り、月照とともに死ん...
実は西郷にとって、菊池一族の子孫であると信じることには大きな意味がありました。西郷と言えば、言わずと知れ...