年表

  • 菊池一族年表

    平安時代に始まる、菊池一族の歴史。室町時代までの菊池氏の動きを年表にまとめました。歴史の波にのまれた彼らが...

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  • 今日は何の日?菊池一族の記念日

    日付出来事年号菊池一族の記念日 1月1月1日1月2日懐良親王、宇土郡の宇土津に到着。正平3(1348)年1月3日少弐軍、菊池...

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  • 二十四代 菊池武包(生年不詳〜1532年)

    肥前菊池氏である武澄(十三代武重の弟)の来孫(5代あと)にあたる。阿蘇惟長(菊池武経)が家督を放棄し阿蘇家に戻ったあ...

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  • 二十三代 菊池政隆(1491年〜1509年)

    二十代為邦の弟である為安の孫で、二十二代能運からすると「はとこ」にあたる。能運の遺言により家督を継承するが...

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  • 二十二代 菊池能運(1482年〜1504年)

    重朝の嫡子。はじめは武運と名乗っていたが、「不運」につながるとして改名したとされる。隈部氏をはじめとする家...

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  • 二十一代 菊池重朝(1449年〜1493年)

    為邦の嫡子。応仁の乱の機に乗じて筑後方面への勢力拡大を図るが、弟である武邦の反乱などもあり失敗に終わる。一...

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  • 二十代 菊池為邦(1430年〜1488年)

    持朝の嫡子。父持朝に引き続き筑後守護として大友氏と領有権を争ったが、これに敗れた。次男の武邦が豊福(熊本市南...

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  • 十九代 菊池持朝(1409年〜1446年)

    兼朝の嫡子で、幕府より筑後守護に任ぜられ勢力の回復に努めたが、一族内の争いなどもあり成果がないまま死去。墓...

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  • 十八代 菊池兼朝(1383年〜1444年)

    武朝の嫡子で、1419年に起こった応永の外寇で九州探題に従い活躍があったが、のちに子の持朝との不仲により1431年、...

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  • 十七代 菊池武朝(1363年〜1407年)

    武政の長子で、幼名は賀ヶ丸。1374年、武政の死去により12歳の若さで家督を継承し、懐良親王の甥である良成親王を新...

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  • 十六代 菊池武政(1342年〜1374年)

    武光の嫡子。1367年に肥後守となり、同時に家督も継承したと考えられる。守山城(菊池本城)に惣領の本拠地を移したの...

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  • 十五代 菊池武光(1319年〜1373年)

    武重の弟で、もとは豊田十郎といい現在の熊本市城南町付近に居を構えていたが、十四代武士が奪われた菊之城を奪還...

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  • 十四代 菊池武士(1321年〜1401年)

    武重の弟で、武重の死去後家督を継承し、北朝方の混乱に乗じて筑後などへの進出を試みたがうまくいかなかった。の...

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  • 十三代 菊池武重(1307年〜1341年)

    武時の嫡男で、「袖ヶ浦の別れ」のあと武時の死去を受け家督を継いだ。父武時の忠義に対し後醍醐天皇より肥後守と...

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  • 十二代 菊池武時(1292年〜1333年)

    武房の孫。時隆の死去によりその弟である武時が十二代の家督を継ぐこととなった。鎌倉幕府(北条氏)の支配が強まり...

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  • 十一代 菊池時隆(1287年〜1304年)

    武房の孫。武房の嫡男である隆盛が家督を継ぐことなく早世したため、隆盛の嫡男である時隆が家督を継ぐこととなっ...

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  • 十代 菊池武房(1245年〜1285年)

    隆泰の三男で、菊池次郎と呼ばれた。なお、兄の頼隆は東福寺の住職となっている。弟の(赤星)有隆、叔父の西郷隆政...

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  • 九代 菊池隆泰(生没年不詳)

    能隆の子。父の代に幕府と対抗したため、冷遇された。隆泰の子には十代武房のほか、のちに菊池家の重臣となった赤星家の祖、有隆がある。墓所は不明。

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  • 八代 菊池能隆(1201年〜1258年)

    隆定の嫡男である隆継が早世したため、その子である能隆が八代の惣領となった。この時代には能隆の叔父2名(家隆と...

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  • 七代 菊池隆定(1167年〜1222年)

    隆直の次男で、嫡男の隆長が壇ノ浦の戦いで戦死したため跡を継いだ。源氏方に対抗したため、本領のみは安堵された...

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  • 六代 菊池隆直(生年不詳〜1185年)

    経直の子で、実質的な肥後国司として近隣の豪族を糾合して平氏の九州支配に対抗した(養和の内乱)が、ちょうど同時...

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  • 五代 菊池経直(生年不詳〜1186)

    経宗の子で、保安3年(1122)、父に継いで鳥羽院の武者所として出仕している。天承元年(1131)、菊鹿の内田八幡宮を勧請し...

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  • 四代 菊池経宗(生没年不詳)

    経頼の子で、天仁2年(1109)頃、鳥羽院の武者所として出仕しており、また永久元年(1113)、雪野に八幡宮を勧請している。墓所は不明。

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  • 三代 菊池経頼(生没年不詳)

    経隆の子で、兵藤四郎とも呼ばれた。筑豊地域に進出して広大な領地を所有していたとされ、後にその領地を鳥羽院に寄進している。墓所は不明。

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  • 二代 菊池経隆(生没年不詳)

    則隆の子で、兵藤警護太郎ともいわれた。寛治年間(1087~1090)、加恵に諏訪宮と八幡宮を勧請している。墓所は出田の若宮神社とされているが、墓碑などはない。

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  • 初代 菊池則隆(生年不詳〜1081年か)

    延久2年(1070)、大宰府天満宮領の赤星荘(荘園)の荘官として菊池に赴任し、深川に居館を構え、子の政隆を七城(西郷)に...

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