経宗の子で、保安3年(1122)、父に継いで鳥羽院の武者所として出仕している。天承元年(1131)、菊鹿の内田八幡宮を勧請している。
文治2年(1186)、現在の佐賀県武雄市にある潮見神社でおこなわれていた笠懸神事(流鏑馬)の際に落馬して亡くなったとされ、墓所はその潮見神社にある。
▼経直の墓。潮見神社参道脇の民家の上、参道を見下ろす位置にある。地域住民の方々によりきれいに管理されている。
▼鳥居をくぐった潮見神社参道。ここで笠懸神事(流鏑馬)がおこなわれていたと思われる。
2020年08月20日
経宗の子で、保安3年(1122)、父に継いで鳥羽院の武者所として出仕している。天承元年(1131)、菊鹿の内田八幡宮を勧請している。
文治2年(1186)、現在の佐賀県武雄市にある潮見神社でおこなわれていた笠懸神事(流鏑馬)の際に落馬して亡くなったとされ、墓所はその潮見神社にある。
▼経直の墓。潮見神社参道脇の民家の上、参道を見下ろす位置にある。地域住民の方々によりきれいに管理されている。
▼鳥居をくぐった潮見神社参道。ここで笠懸神事(流鏑馬)がおこなわれていたと思われる。