隆定の嫡男である隆継が早世したため、その子である能隆が八代の惣領となった。この時代には能隆の叔父2名(家隆と隆元か)が京都大番役として上京している。
1221年に起こった承久の乱においては、後鳥羽上皇方について幕府(北条氏)と戦ったが敗れている。
能隆の子には九代隆泰のほか、西郷家に入り蒙古襲来のときに活躍した隆政や、十八外城の一つ正光寺城の城主となった加恵九郎隆時などがある。
墓所は不明。
2020年08月20日
隆定の嫡男である隆継が早世したため、その子である能隆が八代の惣領となった。この時代には能隆の叔父2名(家隆と隆元か)が京都大番役として上京している。
1221年に起こった承久の乱においては、後鳥羽上皇方について幕府(北条氏)と戦ったが敗れている。
能隆の子には九代隆泰のほか、西郷家に入り蒙古襲来のときに活躍した隆政や、十八外城の一つ正光寺城の城主となった加恵九郎隆時などがある。
墓所は不明。