為邦の嫡子。応仁の乱の機に乗じて筑後方面への勢力拡大を図るが、弟である武邦の反乱などもあり失敗に終わる。
一方で、1477年には桂庵禅師を招き、孔子堂で釈奠の礼をおこない、また1481年には自身や配下の武将の邸宅で連歌の会を催す(菊池万句)など、父為邦に引き続き文化・教養の面に力を入れている。
墓所は江月山玉祥寺にあり、父為邦の墓に並んでいる。
孔子堂跡の碑。もとはもう少し東側にあったが、県道工事に伴い現在地に移設された。
菊池万句連歌(個人蔵・市指定文化財)
菊池市玉祥寺、江月山玉祥寺に所在する重朝と二十代為邦の墓