武朝の嫡子で、1419年に起こった応永の外寇で九州探題に従い活躍があったが、のちに子の持朝との不仲により1431年、家督を譲り隠居。
墓所は七城町岡田の正善寺の堂宇横にある。また、死去は芦北佐敷とされており、そこには「千寿庵」と呼ばれる墓所がある。
七城町岡田、正善寺の堂宇横にある菊池兼朝の墓。
正善寺は兼朝の菩提寺で、江戸時代の楼門が移築保存されている。
2020年08月20日
武朝の嫡子で、1419年に起こった応永の外寇で九州探題に従い活躍があったが、のちに子の持朝との不仲により1431年、家督を譲り隠居。
墓所は七城町岡田の正善寺の堂宇横にある。また、死去は芦北佐敷とされており、そこには「千寿庵」と呼ばれる墓所がある。
七城町岡田、正善寺の堂宇横にある菊池兼朝の墓。
正善寺は兼朝の菩提寺で、江戸時代の楼門が移築保存されている。