白日編
-
01豊田十郎
武重の没後、武士(たけひと)が次代の当主に抜擢され、重い苦悩のただなかにあった頃、菊池から遥か南、豊田荘と呼...
詳しく見る -
02北宮館跡(菊之城)奪還
武光が豊田荘で大躍進を見せていた頃、菊池本領では大きな難題に直面していました。1345(興国6)年、北朝方の合志...
詳しく見る -
03懐良親王と武光
武光の快進撃を歓迎したのは惟澄ばかりではありませんでした。戦と政治、いずれの能力にも長け、菊池の武力を継い...
詳しく見る -
04御松囃子御能
御松囃子御能(おんまつばやしおのう)は、7歳で奈良の吉野を出発し、12年もの歳月をかけて菊池に入城した懐良親王の...
詳しく見る -
05針摺原の戦い
懐良親王菊池入城の翌年にあたる1349(正平4)年、足利尊氏の庶子であり、尊氏の弟・直義(ただよし)の養子となった足利...
詳しく見る -
06筑後川の戦い(1)
1355(正平10)年、征西府は九州探題一色範氏を追い詰め、九州から追い出すことに成功します。しかしそれは、決して...
詳しく見る -
07筑後川の戦い(2)
8月6日夜半、武光は勢いに乗じて夜襲を決行します。300騎の襲撃隊を率いたのはまだ17歳の長男・武政(後の16代当主)で...
詳しく見る -
08日本国王良懐
1361(正平16)年、武光は大宰府を制圧。次いで博多を落とします。そして1363(正平18)年、豊後の大友氏時を降参させ...
詳しく見る -
09東征の挫折
九州制覇を成し遂げた懐良親王にとって、次に目指すべきは都への東上に他なりませんでした。そもそも親王の九州下...
詳しく見る -
10大宰府陥落
失敗には終わったものの、征西府の東上計画は室町幕府を大きく動揺させました。一色範氏が九州を追い出されて以降...
詳しく見る -
11巨星、落つ
大宰府陥落は、征西府にとって大きな痛手となりましたが、実はこの前後に、それ以上とも呼べるほどの恐ろしい事態...
詳しく見る