斜陽編

  • 01武朝と良成親王

    1374(文中3)年、筑後川を見下ろす天然の要害高良山(こうらさん)に、一人の少年の姿がありました。祖父の武光(...

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  • 02水島の戦い

     1375(天授元)年4月8日、肥後まで攻め込んだ智将今川了俊率いる今川勢は日岡(ひのおか)城(山鹿市)に布陣。...

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  • 03託麻原の戦い~良成親王と武朝 最後の勝利~

    勝敗を分け合いながら合戦を繰り返す南朝軍と北朝軍。いよいよ決戦の時が近づいていました。水島の戦いの勝利で息...

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  • 04守山城陥落と南北朝合一

    1381(弘和元)年6月22日、菊池一族に運命の時が近づいていました。遡ること2年の1379(天授5)年、今川了俊らの軍勢...

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  • 05武朝申状~若き当主の矜持~

    守山城が陥落し戦況が悪化、南朝方には徐々に厭戦ムードが漂い始め、南北朝和解の兆しが見え始めます。そのような...

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  • 06菊池一族の文教1~為邦~

    菊池十八外城の一つである亀尾城下に、若くして引退を決意した一人の男が居を構えました。1466(文正元)年に長男...

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  • 07菊池の文教2~重朝~

    もう一人、菊池の文教に大きな功績を残した人物、それが為邦の長男21代重朝です。一族は、儒学の中でも大義名分を...

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  • 08一族の内紛~結束のほころび~

      「下剋上(げこくじょう)」とは、下のものが上のものに打ち勝って権力を手中にすること。応仁の乱で守護大名...

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  • 09他氏の介入

    能運没後、遺命により23代当主の座に就いたのは、わずか14歳の政隆(まさたか)。祖父為安(ためやす)は為邦の弟...

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  • 10さらば菊池一族~一族の終焉~

    1511(永正8)年、守山城に隈部親氏(ちかうじ)・長野運貞(よしさだ)・内古閑重載(うちこがしげとし)ら重臣た...

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