1374(文中3)年、筑後川を見下ろす天然の要害高良山(こうらさん)に、一人の少年の姿がありました。祖父の武光(たけみつ)、父の武政(たけまさ)を相次いで亡くし、元服前の弱冠12歳で17代当主の座に就いた賀々丸(ががまる:後の武朝(たけとも))です。
この頃、南朝方は1368(正平23)年の東上計画の失敗により衰退の兆しを見せ始めていました。この機を逃すものかと、幕府は選りすぐりの智将今川了俊を九州探題として送り込みます。
1372(文中元)年8月12日。用意周到で執拗な了俊の攻撃により、征西府は陥落。高良山への撤退を余儀なくされていました。相次ぐ肉親の死と負け戦。その悲しみに浸る間もなく、賀々丸は父祖の遺訓を守り、菊池一族を中心とした南朝方を率いて戦いの日々へと身を投じることとなったのです。
1375(天授元)年、もう一人、若き皇子が九州の地を踏みます。叔父の懐良(かねなが・かねよし)親王の後継者として大宰府へやってきた、後征西将軍良成(りょうせい・ながなり)親王です。この時、14、5歳。股肱(ここう)の臣であり心の友としてともに戦い続けた武光を亡くした懐良親王は、失意のうちに征西将軍職を甥に譲ることを決意されたのです。
「武光もこの世を去り、我も疲れてしまった。向後は若き者たちに託そう...」
この若き二人の肩に、南朝方の命運は託されました。これ以後、闘将武朝と南朝最後の親王良成の二人は、「南朝再興」という見果てぬ夢のためにタッグを組み、ともに戦乱の日々を駆け抜けることとなるのです。
「このまま引き下がるわけにはいかぬ。武朝、我とともに進もうぞ!」
「宮様、ありがたいお言葉、力強うございます。ともに目指すは南朝再興!」