菊池一族 the Kikuchi Clan

06菊池一族の文教1~為邦~

2024年05月20日

為邦のイラスト 菊池十八外城の一つである亀尾城下に、若くして引退を決意した一人の男が居を構えました。1466(文正元)年に長男重朝(しげとも)に家督を譲り、ここに移り住んだ20代為邦(ためくにです。

為邦が当主の座にあった20年間は、一族の力が衰え始める時期と重なっています。武力の衰えは一族の結束を緩ませ、なんと16歳の次男武邦(たけくに)が父に対して挙兵。重朝により内乱は制圧されますが、この後、為邦は37歳の若さで隠居することを決めたのです。

「この世はとかくままならぬ。ましてや我が息子にまで叛かれるとは...」

「これまでの学問を究めるべく、心穏やかに過ごすよすがはないものか。」

当主として戦いの日々に身を置く一方で、学問に力を尽くしていた為邦。引退後は、心置きなく日夜『碧巌集(へきがんしゅう)』の研究に励みました。さらに剃髪して仏門に入り、居館を神龍山碧巌寺(しんりゅうざんへきがんじ)として如拙伯巧(じょせつはくこう)和尚を迎え開山としました。

ここに為邦の学問が、いかに深く秀でていたかを推察できるエピソードがあります。京都・東福寺で五山の俊秀との誉れ高い恵鳳(えほう)という僧が、為邦の文章をみて「文章の規範である」と激賞したというのです。とても残念なことですが、為邦の文章そのものは現存していません。


碧厳寺の写真  

碧厳寺

 


 


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