桜色の合戦図 ~菊池武光の生涯~
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桜色の合戦図
懐良親王と武光懐良親王が派遣された当時、九州の南朝方はまとまった勢力とは言えませんでした。そこで後醍醐天皇...
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菊池武光という男
庶子からの台頭一族の中で最も有名な武光ですが、実は母親の身分の低さから、当初は当主の候補に入ってい...
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新星、現る。
豊田十郎1319(元応元)年、武光は12代武時の庶子(側室の子)として生まれました。16人の兄弟とともに成長し、14歳の時、...
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子孫七代に至るまで、菊池に弓引くべからず
懐良親王1348(正平3)年、当主となった武光は、後醍醐天皇の皇子である征西将軍懐良親王を菊池に迎えます。7歳で奈良...
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九州制覇
筑後川の戦い1352年、中央における北朝方の内紛に決着がつくと、九州の三すくみ状態も解消されました。菊池への服従...
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巨星、落つ。
東征失敗征西府(せいせいふ)の九州制覇を受けて吉野の朝廷も大いに沸き立ち、懐良親王が下向した時からの念願であ...
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