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十二代 菊池武時(1292年〜1333年)

更新日:2014年9月30日

武房の孫。時隆の死去によりその弟である武時が十二代の家督を継ぐこととなった。

鎌倉幕府(北条氏)の支配が強まり、蒙古襲来に対する恩賞などの問題で御家人の不満が高まっていくなか、九州においては鎮西探題が置かれ、その探題職にも北条氏が就くこととなった。

ときに、後嵯峨上皇以降の皇位継承問題がきっかけで大覚寺統(のちの南朝)と持明院統(のちの北朝)による両統迭立がおこなわれていた朝廷で、大覚寺統の後醍醐天皇が迭立を破り、また倒幕を計画して全国の御家人に綸旨(護良親王の令旨)を発した。親幕派と倒幕派に分かれるなかで武時は倒幕派につくが、大友、少弐ら周囲の武士団との連携がうまくいかず、武重や武光らを本拠地である菊池へ返した(「袖ヶ浦の別れ」)のあと、菊池氏のみの単独で探題へ討ち入ることとなり敗れた。

このときの戦いによる人骨などが博多の地下鉄工事の際に発見され、現在は菊池神社歴史館のいちばん奥に多くの喉仏が祭られている。

墓所としては福岡市七隈の菊池神社(胴塚)、同市六本松(首塚)、山鹿市の日輪寺(供養塔)があり、また菊池市の菊池神社、福岡市の菊池神社の主祭神として祭られている。


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菊池市役所 教育委員会 生涯学習課 社会教育係
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