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十代 菊池武房(1245年〜1285年)
隆泰の次男で、菊池次郎と呼ばれた。なお、嫡男は東福寺の住職となっている。
弟の(赤星)有隆、叔父の西郷隆政らとともに、文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の2度にわたる蒙古襲来に際し大いに活躍し、このことは竹崎季長による「蒙古襲来絵詞」にも記述されている。
しかし、その活躍と犠牲に対し、幕府からの恩賞が甲冑一揃えと非常に少なかったため、武房の代でも幕府に対抗する側になっていく。侵略に対する活躍であったので恩賞としての土地がなかったことによるもので、多くの御家人が幕府に不満を持つことになるが、武房の場合は幕府内の勢力争いのなか、霜月騒動で配流された側と関係が深かったことも原因のひとつと考えられている。
菊池神社の境内にある城山神社の主祭神として祭られている。
墓所は不明。
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