記事の詳細
八代 菊池能隆(1201年〜1258年)
隆定の嫡男である隆継が早世したため、その子である能隆が八代の惣領となった。この時代には能隆の叔父2名(家隆と隆元か)が京都大番役として上京している。
1221年に起こった承久の乱においては、後鳥羽上皇方について幕府(北条氏)と戦ったが敗れている。
能隆の子には九代隆泰のほか、西郷家に入り蒙古襲来のときに活躍した隆政や、十八外城の一つ正光寺城の城主となった加恵九郎隆時などがある。
墓所は不明。
カテゴリ内 他の記事
- 2022.10.17 初代 菊池則隆(生年不詳〜1081年か)
- 2022.10.17 二代 菊池経隆(生没年不詳)
- 2022.10.17 三代 菊池経頼(生没年不詳)
- 2022.10.17 四代 菊池経宗(生没年不詳)
- 2022.10.17 五代 菊池経直(生年不詳〜1186)
- 2022.10.17 六代 菊池隆直(生年不詳〜1185年)
- 2022.10.17 七代 菊池隆定(1167年〜1222年)
- 2022.10.17 九代 菊池隆泰(生没年不詳)
- 2022.10.17 十代 菊池武房(1245年〜1285年)
- 2022.10.17 十一代 菊池時隆(1287年〜1304年)