菊池一族 the Kikuchi Clan

菊池一族 散策マップ 3.5キロコース

2021年09月09日

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A.菊池武光公騎馬像

A南朝朝廷より征西将軍懐良親王を迎え、菊池一族の最盛期を築き上げた、15代武光。九州の北朝方を一掃し、百戦百勝の勇将と讃えられました。

この騎馬像は平成4年に完成し、以来菊池のシンボルとして親しまれています。

軍配を振りかざし、鋭い視線を送る先は、大宰府。

宿敵少弐氏の本拠地であり、かつて菊池氏が官位にあって大いに繁栄を謳歌していた場所です。

九州平定に王手をかける、一戦。

この戦に臨む武光の滾る想いを表した、躍動感あふれる騎馬像です。

B.将軍木

B★徒歩で散策される場合には、広場北側の菊池神社参道から階段を登って次の「C.菊池神社」に進むことが出来ます(グーグルマップ非対応のため表示されておりません)★

県立菊池高校正門西側にある椋の木で、根周り約10m、目通り幹囲約8m、枝張りは東西に伸びて約24m、樹高は約16mにも及ぶ巨大な木です。樹齢は600年以上と推測されています。あちらこちらに傷跡や支えが見られますが、樹勢はいまだに盛んで、熊本県の天然記念物に指定されています。

この木は、15代武光の代に、吉野の南朝朝廷から征西将軍として派遣された懐良親王(かねながしんのう)が自ら植えられたとも、旅の間に使っていた杖を地上にさされたところ芽吹いた、とも伝わっています。

遠方よりはるばるやってきた懐良親王のために、武光は能(御松囃子御能/おんまつばやしおのう)を披露させました。武光が亡くなり、懐良親王が菊池を去った後も、人々はこの木を親王に見立て、毎年欠かすことなく松囃子能を奉納してきました。

670年にわたって受け継がれてきたこの御松囃子御能は、「菊池の松囃子」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

C.菊池神社

C明治3年、かつて菊池一族の本拠地だった守山城跡地に、菊池神社が創建されました。明治維新の後、朝廷に忠義を尽くした人物や一族を讃える動きが起こり、明治天皇の「菊池氏は武時以来、累代皇室に勤労し、その誠忠臣分の模範」という言葉により造営されたものです。

守山城は16代武政により、それまで本拠地であった深川から移されて菊池の本城になりました。これは南北朝の動乱がいよいよ激しくなり、より砦としての性格の強い城に移らざるを得ないほど、情勢が緊迫したものであったことを示しています。

守山城の背後には「内裏尾」と呼ばれる懐良・良成両親王の御座所もありました。

菊池神社の主祭神は、12代武時、13代武重、15代武光。この他一族等26柱を祭神としています。境内には菊池一族や一族に関連する史料を展示した歴史館も併設されています。


D.菊池武時公騎馬像

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E.輪足山東福寺

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F.菊池武重公墓所

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G.菊池能運公墓所

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H.菊池武光公墓所・熊耳山正観寺

H熊耳山正観寺は、1344(興国5)年、15代武光が建立した寺です。

きっかけとなったのは、遡ること11年、1333(元弘3)年に武光の父12代武時が博多の鎮西探題を襲撃した際のこと。実はこの合戦には、14歳の武光も同行していたのです。少弐、大友の裏切りを受け、決死の覚悟で探題館に討ち入りを果たす直前、武時は幼い武光を、博多の臨済宗聖福寺に預けました。その後無事に菊池へ送り返された武光はこの恩に報いるため、自らが当主になった後、この寺の大方元恢和尚を招いて正観寺を立てたのです。

武光の墓は、この正観寺の境内にあります。

墓木と思われる樹齢600年を超える樟の下に、堂々と鎮座する亀趺(きふ)の墓。

実はこの墓は、当時からのものではありません。江戸時代の後期に建て直されたものです。

南朝の雄として名を馳せた武光は、「幕府に対抗した者」として、江戸幕府の統治下においても冷たい視線にさらされ、その墓も省みられることなく廃れ果てていたと言われています。

この状況に、郷土の偉人を讃え、相応しい墓を建てたいと立ち上がった人たちがいました。渋江紫陽(しぶえしよう)、松石(しょうせき)親子です。彼らは近代菊池の文教の祖とも言える人たちで、菊池一族の顕彰(讃えて啓発すること)に大きな役割を果たしました。

武光の墓を建てるにあたり参考にされたのが、同じく南朝方の立役者、楠木正成の墓でした。楠木正成の墓は、水戸黄門でおなじみの水戸光圀が、兵庫県の湊川神社に建てさせたものでやはり亀趺の墓です。

亀趺とは、写真のとおり「亀蛇(きだ)」と呼ばれる空想上の生き物を台座にした墓のことで、めざましい孝徳を積んだ人だけに許される特別な墓とされてきました。亀蛇とは中国で「仙人の乗りもの」とされている生き物です。

南朝方に尽くした楠木正成に亀趺の墓が許されるのであれば、武光にもまた相応しいと、紫陽、松石親子は考えました。江戸幕府の統治下で、武光を神聖視した墓を建てるのが簡単なことではありませんでしたが、1779(安政8)年、二人の念願は叶い、この墓が建てられました。

34メートルを超える大樟の下、優れた石工の技術を思わせる凛々しい顔立ちの亀蛇が、今も武光の安息を護っています。

菊池氏の菩提寺となったこの正観寺の境内には、武光の墓の他、16代武政や武光の兄武澄の墓などがあります。

I.菊池夢美術館 足湯 きくち観光物産館

I菊池の観光窓口。夢美術館の常設展示コーナーには、菊池一族関連の展示物もあります。






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