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棟札1

渋江 龍伏 渋江 龍伏(しぶえ りゅうふく、1858-1896) 渋江龍伏は晩香25歳の時にその長男として生まれ、名を公寧といいました。7歳頃から父について勉学に励み、13、4歳の頃にはその才能が知られるほどに成長しました...

棟札1

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渋江 龍伏

渋江 龍伏(しぶえ りゅうふく、1858-1896) 渋江龍伏は晩香25歳の時にその長男として生まれ、名を公寧といいました。7歳頃から父について勉学に励み、13、4歳の頃にはその才能が知られるほどに成長しました...

顕彰碑

渋江 晩香(2) 渋江 晩香(しぶえ ばんこう、1832-1914) 「遜志堂」を創建し、43年間という長きにわたり、1500人もの門弟の教育に尽くした晩香は、教育者のほかに菊池神社の神職としての顔も持っていました。 1872(明治5)...

顕彰碑

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渋江 晩香(2)

渋江 晩香(しぶえ ばんこう、1832-1914) 「遜志堂」を創建し、43年間という長きにわたり、1500人もの門弟の教育に尽くした晩香は、教育者のほかに菊池神社の神職としての顔も持っていました。 1872(明治5)...

渋江晩香肖像画

渋江 晩香(1) 渋江 晩香(しぶえ ばんこう、1832-1914) 渋江晩香は、涒灘(とんだん)の三子で名を公雄、後に公木と改めました。豪放磊落(ごうほうらいらく)な兄、公穀(こうこく)とは対照的に、温和できめ細やかな人...

渋江晩香肖像画

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渋江 晩香(1)

渋江 晩香(しぶえ ばんこう、1832-1914) 渋江晩香は、涒灘(とんだん)の三子で名を公雄、後に公木と改めました。豪放磊落(ごうほうらいらく)な兄、公穀(こうこく)とは対照的に、温和できめ細やかな人...

南古閑の風景

渋江 公穀 渋江 公穀(しぶえ こうこく、1830-1881) 渋江公穀は涒灘(とんだん)の次子として生まれ、父の亡くなる一年ほど前、十六歳にして父の後を継ぎ、渋江塾の塾主となりました。長子の公温(こうおん)は、既に...

南古閑の風景

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渋江 公穀

渋江 公穀(しぶえ こうこく、1830-1881) 渋江公穀は涒灘(とんだん)の次子として生まれ、父の亡くなる一年ほど前、十六歳にして父の後を継ぎ、渋江塾の塾主となりました。長子の公温(こうおん)は、既に...

正観寺付近から見る築地井手と鞍岳

渋江 とん灘 渋江 涒灘(しぶえ とんだん、1788-1846) 渋江涒灘(とんだん)は松石(しょうせき)の三子として生まれ、名を公豪(きみひで)といいました。勉学や作詩の才能も非常に優れていましたが、軍学や剣術...

正観寺付近から見る築地井手と鞍岳

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渋江 とん灘

渋江 涒灘(しぶえ とんだん、1788-1846) 渋江涒灘(とんだん)は松石(しょうせき)の三子として生まれ、名を公豪(きみひで)といいました。勉学や作詩の才能も非常に優れていましたが、軍学や剣術...

渋江氏伝家の文教

渋江 龍淵 渋江 龍淵(しぶえ りゅうえん、1778-1854)  渋江龍淵は松石の長子で、名を公隆(きみたか)といいました。文章の才能に恵まれた龍淵は幼い頃から勉学に専念し、若くして天草や島原を数年間漫遊しながら、各...

渋江氏伝家の文教

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渋江 龍淵

渋江 龍淵(しぶえ りゅうえん、1778-1854)  渋江龍淵は松石の長子で、名を公隆(きみたか)といいました。文章の才能に恵まれた龍淵は幼い頃から勉学に専念し、若くして天草や島原を数年間漫遊しながら、各...

十八外城

渋江 松石 渋江 松石(しぶえ しょうせき、1743-1814)    近世の菊池文教の祖、渋江紫陽は生涯独身を通したので、伯母の孫にあたる松石を養子として迎え入れました。渋江松石は1743(寛保3)年生まれ、名は公正(きみま...

十八外城

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渋江 松石

渋江 松石(しぶえ しょうせき、1743-1814)    近世の菊池文教の祖、渋江紫陽は生涯独身を通したので、伯母の孫にあたる松石を養子として迎え入れました。渋江松石は1743(寛保3)年生まれ、名は公正(きみま...

武光の墓

渋江紫陽 渋江 紫陽(しぶえしよう、1719-1792)  渋江紫陽は1719(享保4)年、隈府で生まれ、名を公豊(きみとよ)と言いました。少年の頃から学問が好きで、14歳の頃に水足博泉(みずたりはくせん)に、その後は山鹿の加々...

武光の墓

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渋江紫陽

渋江 紫陽(しぶえしよう、1719-1792)  渋江紫陽は1719(享保4)年、隈府で生まれ、名を公豊(きみとよ)と言いました。少年の頃から学問が好きで、14歳の頃に水足博泉(みずたりはくせん)に、その後は山鹿の加々...

神社1

渋江家の系譜 渋江家の系譜  近世の菊池の文教を支えた人々のなかでも、渋江(しぶえ)家は7代にわたって俗に「渋江塾」と呼ばれる私塾を開き、160年もの間、県北の文教の中心的存在でした。  それぞれの塾主の紹介に先立ち...

神社1

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渋江家の系譜

渋江家の系譜  近世の菊池の文教を支えた人々のなかでも、渋江(しぶえ)家は7代にわたって俗に「渋江塾」と呼ばれる私塾を開き、160年もの間、県北の文教の中心的存在でした。  それぞれの塾主の紹介に先立ち...

木下梅里碑

木下梅里 木下 梅里(きのしたばいり、1823-1897) 木下梅里は、1823(文政6)年、木下い村の18歳年下の弟として今村に生まれました。 幼い頃は渋江涒灘(しぶえとんだん)に、後には時習館教授の近藤淡泉(こんどうた...

木下梅里碑

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木下梅里

木下 梅里(きのしたばいり、1823-1897) 木下梅里は、1823(文政6)年、木下い村の18歳年下の弟として今村に生まれました。 幼い頃は渋江涒灘(しぶえとんだん)に、後には時習館教授の近藤淡泉(こんどうた...

い村文字

木下い村  木下い村(きのしたいそん:犀潭:さいたん)は、1805(文化2)年に戸崎の農家に生まれました。幼いころから向学心が強く、はじめは細川藩侍医(藩主等の主治医)だった桑満伯順(くわみつはくじゅん)に、その後...

い村文字

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木下い村

 木下い村(きのしたいそん:犀潭:さいたん)は、1805(文化2)年に戸崎の農家に生まれました。幼いころから向学心が強く、はじめは細川藩侍医(藩主等の主治医)だった桑満伯順(くわみつはくじゅん)に、その後...

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