菊池一族 the Kikuchi Clan

神尾城

2020年09月10日

神尾城(かみおじょう)は山城形式のもので、別名を水次城(みつぎじょう)と言います。水次氏代々の城とも、村上外記(げき)という人の城郭だったとも伝わっています。

もともと城跡とされるところは丘陵部の端に作られた古墳なのですが、これは比較的早い時期に破壊されて、現在は阿蘇神社の敷地になっています。

神尾城跡

▲神尾城跡


水次の集落には土塁を伴った通路が残っていて、地形から見ても、ある程度入念に整備の施された重要な城であったのではないかと考えられています。東側から北側にかけて幅10m前後の空堀が見られ、周辺には当時の墓である五輪塔の残骸が集められています。中でも神尾城跡の石碑の近くにある大きな頭石(空輪・風輪部)は、高さ40cm、周り107cmと、通常のものに比べて格別に大きな墓石の一部であったことが考えられ、城主クラスの有力者の墓ではないかという説もあります。

神尾城空風部

▲神尾城に残された五輪塔の頭石(空輪・風輪部)


覚勝の墓

▲一般的な五輪塔の空輪・風輪部は高さ15cm程度のものが多い

城の役割としては、台城の援護、あるいは予備としての任務が考えられます。


神尾城(想像図)

▲神尾城(想像図)

 

 


この記事へのお問合せ

担当部署:菊池市役所 経済部 観光振興課 菊池プロモーション係

電話番号:0968-25-7223