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渋江 龍伏

更新日:2017年5月15日

渋江 龍伏(しぶえ りゅうふく、1858-1896)

 

渋江龍伏は晩香25歳の時にその長男として生まれ、名を公寧といいました。7歳頃から父について勉学に励み、13、4歳の頃にはその才能が知られるほどに成長しました。17歳になると晩香の私塾「遜志堂」(そんしどう)での教育に携わる一方で、龍門に開校した白木小学校の教育を手伝うまでになります。18歳のときに入学した熊本師範学校では、3年の課程をわずか1年にして抜群の成績で修了し、卒業後は教員の資格を持って隈府町の菊池小学校に赴任しました。その後新たに開設された菊池中学校でも教鞭を執るなど、遜志堂での子弟教育と同時に菊池の公教育にも大いに尽力したといいます。

龍伏には政治家としての一面もありました。1888(明治21)年、31歳で県会議員に、37歳のときには衆議院議員に当選しました。龍伏の政治活動の大きな成果といえば、菊池郡名存続への貢献が挙げられるでしょう。

1896(明治29)年より行われることになっていた郡の併合に際し、山鹿郡と山本郡で鹿本郡といったように、菊池も合志郡と併合して「菊志郡」と名前を変更する政府原案がありました。この時龍伏は、「菊池地方は菊池氏歴代の偉業をたてた根拠地であり、この名称は永久に保存するべきである」として修正案を提出し、多数決で「菊池郡」の名前が残ることになったのでした。

このように教育に政治にと奔走した龍伏でしたが、若い頃から病気に悩まされており、1896(明治29)年、惜しまれながらその39年の短い生涯を終えたのでした。

ところで、晩香・龍伏親子の「遜志堂」ですが、今年4月、その跡地と思われる古民家から写真の棟札(むなふだ、建物の建造の記念として棟木などに取り付けられた木札)が発見されました。時期的には、塾生が増えて建て増しを行った頃のもの。前途の幸いへの祈りを、この棟札に込めたのかもしれません。

 

棟札1



 


 

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