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「嶋屋日記」の風景

Scenery of "Shimaya Diary

「嶋屋日記」の占考

2019年01月11日

嶋屋日記には、山本郡平井村(現植木町平井)の荒木権太夫という人物が登場します。「考の名人」いわゆる、占い・占考の類の名人だったようで、特に失せ人探しで活躍する様子が書き残されています。

後ろから6行目冒頭「考の名人」と記述されている「嶋屋日記」の写真

 


 

安永七年(1779)七月、西迫間村で宇吉という十七歳の丁稚が行方不明になります。主人に叱責され、家に一度帰りたいと雇い先を出た後、消息がわからないということです。方々を探し、様々な占いでも見つからず、困った人々は荒木権太夫へ頼ります。権太夫の考の結果は「生きている、主人の家より東の海山数十里を隔てた場所にいる、八月八日には間違いなく生まれた場所のそばに来るだろう」とのことでした。両親は「夫レを力ニ、月日の過候をまち暮し(それをちからに、つきひのすぎそうろうをまちくらし)」ました。そして迎えた八月八日、同村の幸衛門が山の中で宇吉を発見します。話を聞くと、行方不明の間、中国の三味線弾きの荷物持ちなどをして下関・大坂・伊勢などを回ったそうで、「遠方にいる・戻ってくる」という占考の結果がよく当たっていたことがうかがえます。

さらに、天明三年(1783)十月二十二日、喜三次という者が、雇った男に銀子一貫目を持ち逃げされるという事件が起きます。行方を捜してほしいと頼まれた権太夫は「未申(南西)の方向にいること」「二十六日を越すと、船に乗るであろうこと」と告げます。南西、船ということから高瀬の船着場にいるのでは、と予想をつけた捜索隊は男を追い、二十七日に船に乗って島原に渡ったところを捕えました。この後、天明五年(1785)にも盗人の居所を言い当てた話が記されています。

まるで千里眼のような正確な占考は、にわかには信じがたいですが、同時にとても興味深いものでもあります。「嶋屋日記」は菊池デジタルアーカイブ(https://da.library-kikuchi.jp/)にて、全丁公開されています。ぜひご覧になってみてください。

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