自分自身を見つめる
阪神・淡路大震災
1995年1月17日の午前5時46分に、阪神・淡路大震災が発生しました。私が起きた6時頃に届いた第1報では、そこまでの被害は想像できていませんでした。しかし、当時勤務していた学校に登校した8時過ぎには、ニュースでは驚くような光景が映し出されていました。
この震災をきっかけに防災計画やボランティア活動支援などが改正・整備されていったことは誰でも知るところです。しかし、あまり知られていないことの一つに、被差別部落の被害の実態があります。このことは、神戸新聞が震災3年目の1997年に「震災と被差別部落」という特集記事で伝えています。記事の中では被災状況とともに、避難生活の中で経験する様々な形の部落差別に苦しむ当事者の様子が記されています。
熊本地震
今年は熊本地震から10年です。被災直後から私もいくつかの被差別部落を訪れました。指定避難所に行かずに、地元の集会所に身を寄せ合っている方々ともたくさん出会いました。県央地区の被差別部落では、「指定避難所に行くのはこわい。なんて言われるかわからん。ここが一番安心しておらるっ」と話すばあちゃんに出会いました。実際に、県内のある避難所では、避難してきた市民の方を指して「あん人は○○の人だろ」という発言があったそうです。
差別は命の問題
当時このような事例がいくつあったのかは確認できていませんが、阪神・淡路大震災の時のように、表出した部落差別意識が当事者を苦しめたのは事実です。災害時の避難の場面でこのようなことが起きるのは深刻なことです。「差別は命の問題」という言葉が現実のものとして感じられた出来事でした。
また、女性、障がい者、性的マイノリティ、医療的支援を要する人などに対する避難時の支援の在り方も問題となりました。そこに「差別」が介在していなかったのか。その検証があまりなされていないのではないかと思います。改めて考える必要があります。
自分自身を見つめる
災害時には、社会の中に潜む差別意識が顕在化すると言われます。コロナ禍でも同じことが言われました。「差別心」は私を含め、だれの心にも潜んでいます。だからこそさまざまな研修に積極的に参加し、自分自身を見つめ直す作業が必要です。そのためには、部落差別に限らず、さまざまな当事者の声を聴かなくてはなりません。
文責:地域人権教育指導員 平井靖彦(ひらいやすひこ)
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