一つ上の世代の先輩たちのこと
「あんたもつらかったねえ」
昨年8月の朝日新聞に、歌手の武田鉄矢さんがお父さんのことについて語った「父の無念『つらかったね』」という記事が載っていました。
そこに綴られていたのは、給料をはたいてやけ酒を飲み、自分が参戦した中国戦線での手柄話をがなりたて、挙句の果てに暴れて手に負えなかったこと。そんな父がイヤでしょうがなく、亡くなるまで和解できなかったこと。武田さんはその後、戦争経験者の作家・司馬遼太郎や阿川弘之の作品を読む中で、少しずつお父さんの不機嫌や無念の正体を知り始めます。行きついたのは〝戦争トラウマ〟という言葉でした。武田さんは記事の中でこう語っています。
「親父は戦争体験のキズのうずきに耐えながら、戦後の高度経済成長の中で働いていたのでしょう。ひりひりとした心の痛みを酒でしか癒せなかったのでしょう。今は『あんたもつらかったねえ』と言ってあげたい」
命からがら帰ってきたのに
記事を読みながら、私が小学生のころに母の実家にいた伯父のことを思い出しました。いつも酒に酔って台所の隅にうずくまっており、あいさつをするとにらみつけられました。それが怖くて、慌てていとこたちのいる部屋に逃げ込んだのを覚えています。ほどなくして病で亡くなったのですが、先日久しぶりにいとこたちと伯父のことを語り合う機会に恵まれました。その話には、自分がまったく知らなかった伯父の姿がありました。
伯父は若いころ、正義感が強く地域の青年たちのリーダー的な存在だったそうです。体も大きく、徴兵検査に甲種合格。村の誇りとして入隊したとのこと。ところが軍隊は理不尽だらけの場所で、ある日とうとう耐えられず、上官に鉄拳をふるってしまったとのこと。その後、大陸の激戦地に「とばされ」そのあとは南方へと転戦。どこも激しい戦いがあったところで、よほどひどい体験をしたのだろう、帰ってきたときは魂が抜けたようになっていたとのことでした。
初めて聞く伯父の半生でした。武田さんのお父さんと同じく、伯父もまた戦争トラウマの犠牲者だったのです。せっかく命からがら帰ってきたのに、毎晩うなされる戦場の記憶…自責の苦しみ…台所の隅で酒におぼれながら伯父は何を思っていたのだろう。「つらかったね」と声をかける人はいたのだろうか?と今になって思います。
今年で戦後80年が経ちました。しかしあの戦争は決して遠い昔の話ではありません。70歳の私にとっては、ほんの一つ上の世代の話なのです。苦しみながら戦後を生きた先輩たちのことを、子や孫にも語り継いでいかねばと思います。
同じ悲劇を繰り返さないために…。
文責:地域人権教育指導員 宮崎篤(みやざきあつし)

