土地改良の父・冨田甚平
沼地に田を拓く
米づくりの耕作地を沼地まで拡大することができたのは、土地改良技術の進歩が大きな要因です。その土地改良技術の研究を行い、実践的な成果をあげることに貢献したのが、冨田甚平(とみたじんぺい)です。
冨田式暗渠排水法
冨田甚平は最初に「留(とめ)井戸(いど)」による地下水位の調節を可能にしました。その後、この方法に改良を加え、「水閘(すいこう)土管」を開発しました。この方法は留井戸よりも小型になり、あぜに設置することができ、工事費も安価にできます。この「水閘土管」は排水調節の内蓋を上から針金で上げ下げし、簡単で確実な操作ができるようになりました。この方法は排水だけでなく、貯水もできる機能を合わせ持つ点が大きな特徴です。画期的な技術であり、湿田での耕作を可能にしました。
冨田甚平について
冨田甚平は嘉永元(1848)年、菊池郡砦(とりで)村大字台(うてな)字水島(みずしま)(現・菊池市七城町)に生まれました。その後、明治8(1875)年から明治10(1877)年まで菊池郡の地租改正担当御用掛(ごようがかり)を拝命し、地域の土地等級の決定に参画しました。この調査の過程で、あぜ一つしか離れていないのに土地等級が極端に異なり、収穫量に差があることに気づきます。その原因が主に地下水にあることをつきとめました。地下水を調節することができれば、等級の低い水田も乾田並みの等級に高めることができると考えます。このことが暗渠排水法の研究の出発点になりました。
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