袈裟尾高塚古墳(けさおたかつかこふん) 県指定文化財(史跡)
菊池川流域は日本有数の装飾古墳王国ですが、菊池市の古墳のなかにも1箇所装飾古墳があります。
袈裟尾高塚古墳は、6世紀後半に作られた装飾古墳で、菊池市の北西部、標高138mの高台にあります。菊池平野を見下ろす立地であるため、当時このあたり一帯を治めた豪族の墓ではないかと考えられています。
盗掘や自然風化の被害にあって崩壊が進んでいましたが、昭和53~55年度に実施した復元整備事業で、今の姿を見られるようになりました。
▲袈裟尾高塚古墳
直径は24.5m、高さは4.7mの円墳で、内部は南南西の方向に羨門(せんもん、出入口)のある横穴式石室となっています。
▲古墳の内部
装飾古墳といえば、鮮やかな赤や黒の文様のイメージが一般的かもしれませんが、袈裟尾高塚古墳は、前室(手前の部屋)には赤の彩色が残っているものの、メインである一番奥の壁は線刻による三角文、靱(ゆぎ、矢筒)の装飾のみで、彩色が施されていないのが特徴です。あえて彩色しなかったのか、何らかの事情で彩色できなかったのかはわかっていません。
袈裟尾高塚古墳には、もう一つ大きな謎があります。
遺体を安置するための一番奥の部屋に続く門の上に渡された「まぐさ石」という石にも、線刻による靱の装飾がされているのですが、これがまぐさ石の上側、つまり、下から見上げても見えない側に刻まれているのです。
▲靱の刻まれたまぐさ石
見えない場所に刻まれた矢筒の装飾。今となっては推測しか出来ませんが、大切な被葬者を護るために、最奥の門に仕掛けられたまじないだとしたら・・・と考えると、被葬者を偲ぶ想いが伝わってくるような気がします。
ところで、この古墳が作られた6世紀の後半といえば、鞠智城が造られる100年くらい前になります。お互いに高台なので、袈裟尾高塚古墳からは、はっきり鞠智城を見ることができます。
▲袈裟尾高塚古墳からみる鞠智城
1300年という時が流れても、きっとこの光景は当時もあまり変わらなかったのではないでしょうか。
歴史の流れの中で、兵站基地(へいたんきち)として建設された鞠智城の活気溢れる様も、役目を終えて朽ちていく様子も、現代に再び蘇ったことも、古墳の主はここから静かに見守っていたのでしょう。