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人権・同和教育シリーズ192

2021年09月01日

鬼滅(きめつ)の刃(やいば)から考える

地域人権教育指導員

平井 靖彦(ひらい やすひこ)


6月16日に映画「鬼滅の刃~無限列車編~」のDVDが発売されました。この映画はニュースでも大きく取り上げられたように興行収入の記録を塗り替えるほどの大ヒットとなりました。家族を鬼に殺され、妹を鬼にされてしまった主人公の少年が、妹を人間に戻すためになかまとともに鬼たちと戦っていく物語です。私も映画を観に行き感動しました。

そんな作品でしたが、少し気になることもありました。その中のひとつに「手短に」という言葉があります。今回の映画の主役ともいえる煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)という人物が「手短に言おう」という言葉を発する場面が複数回出てきます。現在「手短に」という言葉は公的な研修の場などではまず使われることはありません。それは、当事者のみならず、この言葉を不快に感じる人がいるからです。

この言葉以外にも体の一部や身体的特徴を比喩的に使う言葉がたくさんあります。そのすべてが使うべきではないということではありません。大事なことは「この言葉に不快な思いを持ったり、傷ついたりする人がいるかもしれない」という想像力です。

例えば「手短に」という言葉は「簡単に」「簡潔に」などと言い換えることができます。言い換えることができるのであればあえて不快に思わせる可能性がある言葉を使う必要はありません。同じように体の一部や身体的特徴で表現される言葉について考えてみてはいかがでしょうか。

もう一つ気になったことがあります。それはこの映画の主人公の少年が「長男だから」という言葉を多用することです。「長男だから〇〇しなくてはならない」という場面がたくさん出てきます。長男であることは悪いことではないし、そこにいろいろな責任感を持って生きていこうとすることも悪いことではありません。しかし、この「長男だから」という言葉がいろいろな「しばり」につながるのではないかと心配もします。

日本ではかつてそういう時代がありました。長男は「家の跡継ぎ」という使命を担っていました。これは「家制度」の問題で、長男のこと以外にもさまざまな問題が指摘されてきました。女性の役割の問題や、相続の問題などなかなか難しい問題がたくさん含まれています。戦前の社会では、家庭での女性の重要な役割は子どもを産み育てることでした。男は「家長」として家族を養うことを求められました。社会の価値観として「家族の在り方」が固定化され、ここに当てはまることが「良し」とされたのです。その結果、現在では「それは差別だよね」ということも、当時は当たり前のようにあったのです。

ここで考えたいのは「家族の形やあり方はさまざまだ」ということです。個人の生き方も、家族の在り方も自由なはずです。それぞれが思うように生きられる、何にも縛られない生き方ができる、そんな社会であってほしいと願います。「鬼滅の刃」の舞台は大正時代です。言葉の問題も家族の在り方の問題も当時であれば当たり前であったかもしれません。

この映画が多くの人に感動を与え、受け入れられたからこそ、そこから学ぶこととして言葉や家族の在り方について立ち止まって考えたいものです。

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