この夏、菊池市できくち白龍まつりとしすい孔子公園夏まつりが開催されました。感染症防止のためどちらも規模を縮小、かつ屋台なども断念しての開催となりましたが、たくさんの観客でにぎわいました。多くの人たちから、花火を見るうちに涙があふれたという声を聞きました。この3年間、コロナ禍で我慢を重ねてきたつらい日々が、この夜ばかりは花火とともに解き放たれて、心が浄化されていくような思いではなかったでしょうか。
各地で多くの夏祭りが中止される中、開催の是非については大変悩みましたが、本市の夏祭りを可能にしたのはひとえに地域の皆さんの熱意と努力の賜物です。消防・警察なども含め全ての関係者の皆さまに敬意と感謝を捧げます。
祭りとは神に感謝をささげる「祀り」が語源で、ハレ(非日常)の日を通じてケ(日常)をリセットするもの。特に夏祭りは疫病封じの願いを込めたものといわれています。その意味では、今回ほど祭り本来の意味を実感したものはありません。直前の関係者の会合では「何とか花火を通じて閉塞感を打破し地元を元気にしたい」「子どもたちに夏の思い出をつくってあげたい」「風物詩でもある屋台の風景を断念しても構わないので、可能な対策はやりつくす」などの力強い議論がありました。地元の人たちが主体となって、リスクを冷静に見極めながら、「できるしこ」の精神で力を合わせて実現した2つの夏祭りは、まさに祭りの起源の原初風景を見るようでした。疫病退散の強い祈りを込めた地元のエネルギーが爆発したからこそ、3年ぶりの花火が感激の涙を生んだのではないでしょうか。