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韓国発見シリーズ64 「幸せは、喜びの強さではなく頻度がきめる(2018.11)」

2019年12月04日

ある研究論文で示された、韓国の青少年は高校時代から既に社会や将来に対する期待を捨て、個人で生き残りの道を模索しなければならない状況にある、という内容にショックを受けた。この論文でいう「生死をかけた戦場」とは、「良い大学に入るためにし烈な競争をするところ」と解説されており、実際、韓国の大学生を対象としたあるアンケートでは、81%の学生が自身の高校時代を「生死をかけた戦場」だったと回答している。

なぜ韓国の10代の学生は高校時代を戦場だと考えるのか。それは「良い大学に入れば将来より幸せになれる」という学歴社会の固定観念が強いからだろう。韓国人の多くは「人生の選択」に短期大学や専門学校を入れず、有名大学への進学こそ人生の成功の道だと信じている。一方、2017年に国連が発表した世界幸福指数調査において、韓国は155カ国中55位、2015年の47位からさらに順位を下げた。将来の自身の幸せに明確な道筋を持つ韓国人の幸福指数が低いというのは、悲しい事実だ。

しかしながら、ある専門家は、エド・ディナー教授(アメリカ)の「幸せは、喜びの強さではなく頻度が決める」という定義を実行すれば、この固定観念から脱することができると提言している。 

この定義では「becoming(~になること)」と「being(~として生きること)」の違いが示されており、「財閥の家の嫁になる」ことと「その家の嫁として日々を生きる」ことは全く別のことだと例に挙げられている。多くの韓国人は、高校時代は良い大学に行くため、大学時代は良い職に就くため、中年になると老後の安泰と子どもの成功を願い、いつも未来に何かを求めて全力疾走している。しかし実際に幸せがあるのは「being」であり、自分の足元を見つめ努力し、小さな幸せを積み上げていくことが重要だ。そうすれば日々の生活の中にもちょっとした幸せを見つけられる気がする。

たとえ高校という戦場で勝利しても、それは「becoming」に捉われていて、強い幸せを一度感じるだけに過ぎない。それではいつまで経っても韓国の高校が戦場だという汚名は拭えないだろう。

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