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人権・同和教育シリーズ219

2023年11月01日

教科書が無償(タダ)になったときのこと

「本当に助かるわ」

 私は、1955年(昭和30年)福岡県大牟田市で生まれました。6人兄弟の2番目で、父は採炭夫でした。子だくさんの暮らしは楽ではなく、家計のやりくりや子どもたちの世話で母は大忙しの毎日でした。「お金がない」「お金がない」というのが口癖でした。そんな私が小学校3年生のとき、教科書がタダになりました。その知らせを聞き、母が「助かるわ」としみじみ言ったのを覚えています。子どもたちの教科書代は負担だったのでしょう。母は心底うれしそうな表情でした。私も姉のおさがりではない真新しい教科書がとても嬉しかったです。


教科書をタダに…

 だけど、私は大人になるまで知りませんでした。それが部落差別をなくす部落解放運動によるものだったことを…。

 すべて国民は、その能力に応じて均しく教育を受ける権利を有する。義務教育はこれを無償とする。(日本国憲法 第26条)

 この文を憲法学習の中で見つけた時の、高知の被差別部落のお母さんたちの驚き…。幼いころから子守奉公や家事で学校に行けず、それゆえの苦労の数々。バス停の文字が読めず行きたいところにも行けなかったこと。病院の受付で氏名が書けず家で我慢した熱発。孫から「ばあちゃん、絵本読んで」とお願いされ聞こえないふりをした悲しさ。

 様々なことが思い出され、そんな自分たちが受けたくても受けられなかった教育が、新しい憲法では、「権利」と書いてあり、おまけに「無償」つまりタダと書いてある。それを知った時の喜び。子どもたちには私たちのようなつらい思いをしてほしくないという切実な思い。だからこそ、この憲法の文が輝いて見えたのでした。

 その当時、教科書はタダではありませんでした。お金を払わなければならず、貧しさから教科書を買えずにいる子もいました。「国の最高法規」である憲法に無償と書いてあるのに、満足に学べない子どもたち。それを知ったとき、お母さんたちは、署名運動に立ち上がったのでした。


「絵に描いた餅」

 お母さんたちの運動はまたたく間に全国に広がりました。多くの人々の共感と支援のもと、今から60年ほど前、すべての小中学校で教科書がタダになったのでした。そして、全国の保護者が私の母のように「助かるわ」とつぶやいたのではないでしょうか。 

「みんなで訴えていかなければ、権利も絵に描いた餅」それを高知のお母さん達は教えています。

 しかし、教育費は、教科書代だけではありません。制服代、副教材代等、今も保護者には大きな負担です。世界を見れば完全無償の国もあります。様々な課題がある現在、子どもたちが安心して学べる教育制度の実現が心から望まれます。


(文責:地域人権教育指導員 宮﨑 篤)

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