第14回菊池市人権フェスティバル特選作品
【作文の部】
「修学旅行で平和について考えたこと」
隈府小学校六年、城沙耶(じょうさや)
私は、戦争のおそろしさを知った。私たち六年生は、修学旅行で長崎に行った。戦争の事を学ぶために、城山・山里小学校・平和公園・原爆資料館・原爆落下中心地・浦上天主堂・如己堂(にょこどう)に行った。
それぞれの場所から伝わってくる悲しみが、とても大きくこわかった。私は、「とてもこわくて悲しくなっても、ちゃんと学んでくる」と、心に決めて行った。
まず私は、如己堂に行き、永井隆(ながいたかし)博士の事を学んだ。永井博士が戦争で失ったものや自分の病気とたたかう気持ちが悲しさと共に伝わってきた。永井博士は、自分の事で大変でも周りの人のことを思いやさしく接していて、私には考えられない事だった。戦争で緑夫人を失っているのにもかかわらず被爆者の手当てを行っていたのは、「己れの如く隣人を愛せよ」という如己堂の意味と同じで、人にやさしい永井博士だからこそできた事だと思った。平和を願いつづけ自分のように隣人を愛した、この永井博士から私は平和のバトンを受けとった気がした。
次に、平和公園に行った。私たちは、平和祈念像に向かって構成詩で平和への願いを伝えた。一人一人の言葉、思いが耳から体全体にじいんとひびいた。私たちの思いをせいいっぱいに伝えた。伝わっている気がした。
平和公園の平和祈念像の一つ一つの部位が表す意味、そこにあった水からとても悲しみが伝わってきた。右手、左手、右足、左足、とじたまぶた、長崎の方々の思いがつまっている平和祈念像から戦争のおそろしさが体に染みわたってきた。私は、心の中で、「戦争は勝ちも負けもなく、あるのは人の悲しみ、苦しみ、ほろびだけ」と思いました。
私は、戦争のことを学んで、戦争はおそろしく、悲しく、人々の心を傷つけ、平和とは何かを長崎で感じた。私は、これから学んだ事を生活におきかえて、生かしていきたい。戦争は差別。だから私は、みんなにやさしくよりそった永井博士のようになりたい。戦争は悲さん。だから、仲間、友達をいやな気持ちにさせない。もし、させてしまったら、心から反省してあやまる。
こんなにたくさんの事を学べた私たちだからできることがあると思うので、長崎に行ったことを心の中に入れて、生かしていきたい。これからのためにも戦争の悲惨さについて学べてよかった。人を、人の命を大切にしていきます。
【ポスターの部】
菊池南中学校一年、川口瑠璃(かわぐちるり)