「つながる 水俣とベトナム」
「水俣からベトナムへ」
昔、ベトナムのツーズー病院を訪問した。玄関には水俣から贈られた白いワゴン車が止まっていた。院内を案内され、分離手術で兄と別れ、車いすに乗ったドク君に会うことができた。ベト君とドク君は、ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤(ダイオキシン)の影響で下半身を共有しつながって生まれた。ベト君が病気になり日本の助けを借りて分離手術が行われた。
2人は出産直後にこの病院に放置され、院長のフォン先生をはじめ病院スタッフに育てられた。ベト君は亡くなり、ドク君は成人後は病院事務員として働き、結婚を機に社会での生活を始め、45歳の現在も病院で働いている。かつて、子どもが欲しいが枯葉剤の影響に不安があるとテレビ番組で語っていた。現在は男女の双子、高校生の父親である。
「枯葉剤」
戦争中、米軍は10年間にわたり枯葉剤を散布し続け、敵が隠れるジャングルを枯らし、農作物を奪った。
戦争終結後に、胎児に異常が現れた。背中や腹部がつながった2重胎児、頭の上半分がスパッと切られたように形成されていない「無脳症」の胎児、あごの下からもう一人の人間が癒着、など信じられない姿の胎児が病院地下室にホルマリン漬け状態で保存してあるのを見た。「どうぞたくさん写真を撮って日本の皆さんに知らせてください」案内役のフォン先生は言われた。戦争中に特に散布が激しかった地区でこのような先天性障がいの胎児が多くみられたという。四肢の異常など命に関わらない子どもも多く生まれた。枯葉剤を直接体に浴びた母親、薬をかぶった食物を食べた母親を誰が責められよう。
「ベトナム訪問:坂本しのぶさん」
しのぶさんが病院を訪問し、胎児の姿を見て「私と同じ。でも、私は生まれてきた」「今まで水俣病から逃げたいと思っていたが、闘うと決意した」こと、被害状況の調査や巡回検診用のワゴン車購入のためにしのぶさん自らカンパ等を行ったということを数年前に初めて知った。有害物質のために命を削られ、人生を狂わされた、生まれてくることすらできなかった多くの命、ベトナム戦争後55年経過して尚、今だに多くの障がいをもつ子どもが生まれている。2025年10月にドクさんとしのぶさん、フォン先生は再会している。戦争の犠牲になった物言わぬ胎児たちの姿に闘うことを決意したしのぶさんの生き様に学びたい。
地域人権教育指導員 末永 知恵美

