人権・同和教育シリーズ251

2026年08月01日

「あらためて不戦を誓う」

一つの花

 小学校四年生の国語の教科書に今西祐行作の「一つの花」があります。第二次世界大戦中、食べ物が不足していた時代に、いつもお腹をすかせていた幼児のゆみ子は、「一つだけちょうだい」と言って食べ物をねだりました。そんなわが子を「なんてかわいそうな子でしょうね。一つだけちょうだいと言えば、なんでももらえると思っているのね」と母親を言い、父親は、「この子は一生、みんなちょうだい、山ほどちょうだいと言って両手を出すことを知らずにすごすかもしれない。みんな一つだけ。一つだけの喜びさ。いや、喜びなんて一つだってもらえないかもしれないね。大きくなって、どんな子に育つだろう」と、わが子の未来を案じます。その父親は、戦争に行き、ゆみ子のもとに帰っては来ませんでした。

 これは物語ですが、戦中、戦後に、こんな子どもが日本中にたくさんいました。

お父さんの話

 その一人が、菊池市西寺在住の松岡紀代子さんです。松岡さんのお父さんは、一九四五年の小笠原諸島の硫黄島の戦いで戦死されました。硫黄島の戦いは、日本軍約二万二千人、アメリカ軍約七千人が戦死した壮絶な地上戦でした。

 松岡さんのお父さんは、二度も戦争に召集されました。「一九四四年一月に、赤紙が父を硫黄島へ連れて行った」と話されました。「行ってくる」と言ってお父さんが家を出て戦争へ行かれるのを見送ったのは、「一つの花」のゆみ子と同じように松岡さんが三歳のときで、「父のことは覚えていない」と語られます。

 お父さんは硫黄島では、偵察員だったそうで、塹壕(ざんごう)から出て偵察しようとしたときに攻撃されて、身体もろとも吹っ飛んで戦死されたそうです。敗戦後、一緒に偵察員をされていた方が白い布に包まれた木の箱を持って、お父さんが戦死されたことを告げられたそうです。その箱の中には遺骨もなにもなかったそうです。松岡さんは、「父を二度も戦争にやったのはなぜ」と問いかけられます。

不戦を誓う

 幼い子どもやパートナーを残してまで戦争に行かなければならなかった多くの人たちがいました。愛しい父を戦争で奪われた多くの子どもたちがいました。「一つの花」は、戦争の大罪と平和の尊さをたくさんの事実をもとに書かれた物語です。

 とても悔しいことに、今も世界では、それぞれの正義の名のもとに戦争がおきています。

 今、父母や家族に愛され、育まれている子どもたちが、「親を覚えていない」と言うおとなにならないように、私は不戦を誓い、自分にできることをしていこうと思います。


                                                    地域人権指導員 森山 資典

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