挨拶から生まれる人とのつながり
毎朝、自宅の近くで自転車で通う大勢の外国からの技能実習生とすれ違います。一度に20数人とすれ違うこともしばしばです。初めのうちは、「おはようございます」「こんにちは」と挨拶しても、自転車に乗ったまま通り過ぎたり、こちらをチラッと見るだけの日々でした。
たとえ言葉は通じなくても、挨拶くらいは分かり合えるだろうと、私は何回も、何十回も続けました。そのうち、挨拶が返ってくるようになりました。特に、愛犬との散歩のときや、地域の小学生の登校の見守りのときには笑顔で返してくれる人もいます。多分、ペットや幼い子どもが一緒だと、彼女らも安心感に包まれるからなのでしょう。
私は、「挨拶ぐらいはしたいなあ」と思う性格なので、せっかく同じ地域に住んでいるならば、挨拶を交わさないほうがストレスになると思っているのです。
初めて会った人と挨拶をする、初めて会った人と握手でお互いの存在を認め合う。このことは、生まれた国が違っても、お互いが近づくための大事な一歩だと思えるからです。挨拶は、たとえ親しい間がらでも必要だと思いますし、知らない人なら、なおさら人と人とのつながりには欠かせないものだと強く思います。
挨拶する自分をもっと好きになる
以前、勤務した学校でのことです。人権教育を進めていくうえで大切なことや大事にしたいことなどが、たくさんあります。その中で、地域の人を学校に招いて、ゲストティーチャーとしてお話をしてもらったり交流をしたりしながら、地域のことをもっと知り、地域を大事にし、自分も友だちも大切にしようという学習の機会がありました。
そのゲストティーチャーの方は、次のような切り口で子どもたちに迫られていきました。
「みんなは、自分のことが好きね? 嫌いね?」子どもたちが首をかしげていると、すかさずこう言われました。「学校に行くときや帰るときに会う近所のおじちゃんやおばちゃんに挨拶する自分は好きね? 嫌いね?」「おばちゃんは、元気よく挨拶するあんたたちはとっても好きよ。いい? 自分を好きにならんと、友だちもお母さんたちも、みんな好きになれんとよ。自分をもっと好きになって、周りのみんなを大切にしてね。そして、おかしいときには、おかしいと言える関係を作ってほしいとたい」と言って話を進めていかれました。
挨拶は、単なる儀礼だけでなく、人とつながっていくうえで、とても欠かせないものだといえるのです。
(文責:地域人権教育指導員 宮川 淳一)