装飾文様が意味するもの~古代人の精神世界~
熊本県の北部、阿蘇の北外輪山から有明海へと西流する菊池川。その一帯には、全国的にみても、たいへん多くの装飾古墳が分布しており、その数130 基を超えます。特に、玉名平野、菊鹿盆地周辺に集中しており、その平野部には、古代・中世の条里制に基づいて区画された水田などが多く残されています。
熊本県における装飾古墳の出現は4世紀の終わり頃のことで、県南の八代海沿岸地域から始まります。そこから宇土半島、熊本平野へと分布範囲が広がり、菊池川流域で装飾古墳が造られるようになるのは6世紀に入ってからです。
6世紀初頭の塚坊主古墳(和水町)に始まり、6世紀前半のチブサン古墳(山鹿市)、大坊古墳(玉名市)など、石屋形の内壁に円文や連続三角文・菱形文などの幾何学文様を彩色で描く装飾古墳がみられるようになりますが、こうした文様は、悪霊や魔物などを避ける魔除けの意味があったものと考えられています。
6世紀後半になると、弁慶ヶ穴古墳(山鹿市)、永安寺東古墳(玉名市)などで、人物や舟、馬、鳥などが描かれるようになります。中でも、弁慶ヶ穴古墳では、人物や馬、荷物を積んだ舟の文様など、菊池川における水運の光景のような絵が描かれました。こうした装飾の中で、舟の積荷に鳥が止まる装飾は、積荷が石棺を表わし、石棺に死者の魂を運ぶ鳥が止まっている様子を描いたとされることから、死者の魂が黄泉の国へ鳥となって飛んでいくという、死後の世界観を表しているとも考えられています。
チブサン古墳
弁慶ヶ穴古墳
永安寺東古墳








