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深掘り!菊池川流域日本遺産エピソード~伝説と文化をたずねて~⑤【肥後国衆一揆】

2026年08月01日

菊池氏の滅亡後、肥後は小領主である国衆が各地を治めていましたが、天正15 年(1587)に九州を制圧した秀吉は、肥後の国主に佐々成政を任命して治めようとしました。

成政は、国衆に対して所領を分割したり少なく与えたりする強引な支配を行いました。また、入国後早々に検地(支配地で獲れる米などの収穫量を把握するために、田畑を測量検査すること)を行おうとしましたが、隈府城(菊池市)の城主隈部親永はこれを拒否したため、7月に成政は6000 余の大軍で隈府城を攻めました。これが肥後国衆一揆の始まりです。結果的に隈部氏は家臣の裏切りなどで敗れ、息子親安が居城とする城村城(山鹿市)に逃れて籠城しました。これに呼応するように肥後の国衆たちが次々と一揆に加わり、菊池川流域の各所でも国衆たちによる激しい戦いが行われました。

和水町和仁にある田中城でも、38日間にわたる籠城戦が繰り広げられました。城主の和仁氏を含む約900人に対し、約1万の秀吉軍が城を取り囲み、最後は仲間の裏切りによって城主が暗殺され、城に籠城した人々は皆殺しにされてしまいました。

この一揆平定ののち、秀吉は朝鮮・明国出兵を進め、加えて農民に武器の所持を禁じる「刀狩り令」を出して兵農分離を進めました。佐々成政も処分され、肥後には加藤清正と小西行長が入国することになりました。



田中城に籠城した和仁三兄弟の像







田中城に籠城した和仁三兄弟の像  


 


田中城空中写真   


 

田中城空中写真


辺春・和仁仕寄陣取図   


 

辺春・和仁仕寄陣取図



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