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花房(菊池)飛行場正門の表札を復元しました(令和2年8月18日)

2020年08月21日

「花房(菊池)飛行場の戦争遺跡を未来につたえる会」(倉沢泰(くらさわやすし)代表)が、戦争遺跡の保存活動の一環として、花房(菊池)飛行場正門に当時の表札を復元し、8月18日に表札を設置しました。

この表札は、保管されていた当時の写真を参考に、地元泗水中学校の3年生3人(成田苺花(なりたまいか)さん、植野怜央奈(うえのれおな)さん、清原心乃(きよはらここの)さん)が作成。表札の木材は、菊池森林組合から地元菊池産の板材が提供されています。

保管されていた当時の写真を参考に表札を作成する3年生たちの画像

 


 

▲保管されていた当時の写真を参考に表札を作成する3年生たち


表札設置の当日には、表札を作成した中学生が菊池飛行場ミュージアムの戦争遺跡をめぐり、少年飛行兵だった前田祐助(まえだゆうすけ)さんや、整備士だった東舜(ひがししゅん)さん、菊池飛行場ミュージアム副館長の勝又俊一(かつまたしゅんいち)さんらから、戦争当時のようすや戦争遺跡について説明を聞きました。

花房(菊池)飛行場の空襲のようすを語る前田祐助さんの画像

 


 ▲花房(菊池)飛行場の空襲のようすを語る前田祐助さん。「周りの人にも話して、戦争の悲惨さを伝えてほしい」と話しました。

戦争遺跡を前に説明する勝又俊一さんの画像

 


▲戦争遺跡を前に説明する勝又俊一さん

高架水槽の前で説明する倉沢泰代表の画像

 


 ▲高架水槽の前で説明する倉沢泰代表

説明を聞いた清原さんは「戦争遺跡を見ることで、また、当時自分たちと同じくらいの年齢の人が働いていたのを聞いて、戦争が身近に感じられました。ふるさとの歴史はどうだったのかを、いろんな人に伝えていきたいです」と話しました。

植野さんは「物語などでしか見たことがない戦争のことを知ってちょっとショックでした。表札の文字は少し難しかったけれど、懐かしく感じてもらえてうれしいです」とコメント。

成田さんは「戦争遺跡に弾が打たれたあとがあって、その穴が大きく指が入るくらいだった。近くにこういうものがあることにびっくりしました。戦争遺跡がこれからも残っていけばいいなと思います」と感想を述べました。

最後に、花房(菊池)飛行場の正門にみんなで表札をかけ、倉沢代表があいさつ。

「飛行場の遺跡を多くの人に伝え、平和のありがたさを未来に伝えていこうと、この会やミュージアムを立ち上げ、ここまでやってきました。世界の平和につながる会として成長していけるよう、命のあるかぎり努めていきたい」と話しました。

花房(菊池)飛行場の正門に表札をかけ、関係者全員で撮影された集合写真の画像

 


 ▲花房(菊池)飛行場の正門に表札をかけ、関係者全員で集合写真を撮りました。


花房(菊池)飛行場高架水槽の場所


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