緊急情報はありません

トピックス~まちの話題~

Topics - Town Topics

台区の皆さんで冨田甚平翁の顕彰碑を清掃しました!(R2.3.3)

2020年03月09日

3月3日(火)、台(うてな)区(冨田龍二区長)有志の皆さんで、冨田甚平(とみたじんぺい)翁の顕彰碑を清掃されました。

この日は冨田甚平翁の命日であり、「地元の偉人を皆でもう一度学ぶきっかけに」と区長さんが呼びかけられたもので、区民の方々をはじめ、10名ほどの有志の皆さんが集まりました。甚平翁のひ孫である冨田和男さんも参加して一緒に作業され、区との交流も深められました。

まず作業に先立ち、市職員から甚平翁の功績について改めて説明を受けたあと、分担して顕彰碑をきれいに磨き、周辺の草刈りをして終了しました。

冨田区長さんは「改めて郷土の偉人を学ぶ良い機会になった。続けていくことができれば」と話されました。

説明の様子の写真

甚平翁の功績について市職員から説明を受ける様子。参加者からは「甚平さんがどんな人だったのか改めて分かった。参加してよかった。」との声が聞かれました。

 


 


集合写真作業を終えて集合写真。前列左から冨田和男さん、冨田区長さん。

 


 


冨田甚平について

冨田甚平は嘉永元年(1848年)に現在の台区(当時は水島村)に生まれ、隣り合っている田んぼでなぜ収穫量が大きく違うのか?という疑問から始まり、その後の人生をかけて冨田式暗渠排水技術を開発しました。この技術により、腰まで沈むようなとてもぬかるみがひどい田んぼ(「じゅったんぼ」といいます)も作りやすい田んぼに変わり、米どころ菊池のお米の収穫量は更に増えました。甚平はその実績により鹿児島、山口、秋田など全国各地に農業指導者として招かれ、現在もその技術は生き続けています。

その指導者としての枠は国内に納まらず、現在の韓国でも農業指導に当たられ、昭和2年(1927年)3月3日、韓国で80歳の人生を終えました。

その功績をたたえ、熊本県では昭和51年(1976年)に熊本県近代文化功労者として表彰し、また地元七城町(当時)では有志で期成会を組織し、平成3年、現在の顕彰碑が建てられました。

現在でも、市内の小学生が地域を楽しく学ぶ教材としても役立てられている「菊池ふるさとかるた」の中で「国中の湿地を美田に冨田甚平」という詩で詠まれています。また平成29年4月に認定された菊池川流域日本遺産においても、二千年の米作りのストーリーの中で大きな功績を残した偉人として紹介され、更には菊池川平成30年には地元テレビ局の「郷土の偉人シリーズ」でドラマ化されています。

トップへ戻る