特集 筑後川の戦い 日本三大合戦に数えられた九州最大の戦は、いかにして決着したのか。

南朝方4万騎、北朝方6万騎が参戦したと伝わる筑後川の戦い。戦神とたたえられた菊池武光が、この戦にどう挑んだのか、第二次世界大戦期には旧日本陸軍によって徹底的に研究されました。今回の特集では、この戦がどのように展開されたのか、菊池市史に基づいて詳しくご案内します。

その一 筑後川渡河

1359(正平14)年、九州を二分する北朝勢と南朝勢の衝突が勃発します。日本三大合戦に数えられるこの戦は、筑後川を南北に挟んで対峙した前哨戦に始まり、後の大保原… 詳しく見る

その二 警戒する北朝軍

一方、北朝方は武光自ら渡河地点を偵察したことを知り、軍議を開きました。原田・松浦・秋月・三原らの諸将は、音に聞こえた武光の勇猛果敢さを説き、現在の陣地付近… 詳しく見る

その三 大保原(おおほばる)の決戦

武光はそれまでに得た情報を元に、次の作戦を立てました。1. 8月6日夜半より、長男・武政が300人の兵を率い、岩田を通って宝満川に沿い、横隈(よこぐま)に渡り西南に進み、敵の背後に潜む。本隊が暗闇に乗じて敵の前… 詳しく見る