これから菊池一族の歴史を覗いてみたいあなたのために、とっておきの厳選エピソードを集めました。 かつて全国にその名をとどろかせた菊池一族の足跡。 とくとご覧あれ!
平安文学の傑作、源氏物語。南北朝時代を描いた軍記物語、太平記。九州、肥後に生きた菊池一族の痕跡は、実はこれらの名作の中にも残されています。
元寇の様子を描いたものとして有名な「蒙古襲来絵詞」。教科書にも載っているこの巻物の主人公は竹崎季長という肥後の武士ですが、彼の憧れの人物として登場するのが、10代武房です。
鎌倉時代末期の1333(元弘3)年、菊池12代武時は幕府打倒を掲げ、福岡の博多を攻めていましたが、土壇場になって味方の裏切りに遭い、絶対絶命のピンチに陥ります。
長い柄の先に刃物の付いた「槍」状の武器は、古来日本でも使われていました。しかしこれを集団vs集団の戦いで最も効果的と言われた戦法「槍ぶすま」を日本で初めて使ったのは、実は菊池13代武重だと伝わっています。
明治維新の「五箇条のご誓文」第1条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。これは新体制では議会制民主主義を採用すると宣言した内容ですが、実はこれに影響を与えたと言われているのが、ここから遡ることなんと530年前に菊池で作られた、菊池家憲「寄合衆内談の事」なのです。
関ヶ原、川中島と言えば、いずれも日本史上大きく注目される大合戦ですが、これに並ぶものが九州で起こっていたことをご存知でしょうか。
南北朝時代、対立する北朝側の勢力に対抗するため、後醍醐天皇は全国各地に、それぞれの地の武将を味方につけて戦うよう「将軍」として皇子たちを派遣します。
時は都が戦乱に明け暮れた室町中期の1481(文明13)年。九州の片田舎である菊池で、1日に1万句を詠むという大きな連歌の会が催されました。
水戸黄門でお馴染みの水戸光圀。実は熱心な歴史家で、全国に家臣を派遣して歴史調査を行い、近世の大ベストセラー歴史書である「大日本史」という書物に纏めたという業績を残しています。
維新三傑の一人、西郷隆盛。実は彼も、菊池一族の末裔の一人と伝えられています。その事実について西郷自身が抱いていた強い誇りを、彼の雌伏の時に見ることが出来ます。