延寿一族の最盛期

延元国時の写真15代武光の時代、南朝方に味方していた菊池一族は、後醍醐(ごだいご)天皇の皇子懐良(かねなが)親王を迎え、菊池は九州南朝方の中枢である征西府(せいせいふ)を置く九州の中心地になりました。武光と懐良親王はともに手を取り合い、当時九州の都であった大宰府を占拠して九州制覇を成し遂げました。南朝方唯一のこの偉業の背景には、国吉、国時らをはじめとする延寿鍛冶が鍛えた、優れた刀剣の潤沢な供給があったと言えるでしょう。日本三大合戦の一つに数えられる「筑後川の戦い」において、仇敵・少弐頼尚(しょうによりひさ)を打ち破った後、武光が足許を流れていた小川で太刀を洗ったところ、川は洗い流された血で真っ赤に染まったという逸話が「大刀洗(たちあらい)」という地名の由来として残っています。この時に武光が携えていた太刀もまた、延寿の刀であったのかもしれません。

 

図:目釘穴の箇所に「延元」の年号が僅かに残る刀
(撮影:井上啓 ディレクション:太田光柾)



菊池一族15代武光を懐良親王のイラスト菊池一族と最盛期をともにした延寿一族による、銘に「延元(えんげん)」「正平(しょうへい)」など、南朝の年号の刻まれた刀剣は、彼らが南朝側の刀工として活躍した確かな証として今の世に残されています。

 

図:菊池一族15代武光を懐良親王のイラスト

 


 


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