止林城

止林(とばやし)城は別名城林(じょうばやし)城、木庭(こば)城、山古(やまこ)城などの呼び名もあり、標高は140メートル、木庭集落からは約70メートルの高さに位置していますが、斜面が急で集落から見上げるとかなり高く感じられます。城跡にあたる小山状の末端部は、上面が平坦で「城床(しろとこ)」と呼ばれ、一部は公園化されています。この城床の中央部には「塚」と呼ばれる直径5メートルほどのマウンドがあり、中世の墳墓ではないかと考えられています。

止林城


▲止林城

 

上面周囲には廓と見られる階段状地形が取り巻き、東側には堀切と認められるものが残っています。堀切の底は二段構えになっていて、城床側が内堀、外側が外堀と呼ばれています。堀の南端には井戸跡があったといいますが、現在は埋没してしまっており見ることは出来ません。

止林城略図



 

この城は、8代能隆(よしたか)の4子隆経(たかつね)に始まる城家の直系子孫で、智謀に優れ、数々の軍功をあげて15代武光から「皆朱の槍」を許されたと伝わる城武顕(じょうたけあき)が築城し、代々城家の居城であったと伝わっています。この伝承に関連して、木庭地区には現在も城姓の家が多く残っており、住民と城の繋がりは深いと言えるでしょう。

また、戦国時代に入ると、阿蘇家の忠臣として大きな武功を上げた甲斐宗運(かいそううん/親直/ちかなお)がこの城の城主になったとも伝えられています。甲斐家は元来、10代武房の子、武本の子孫なのですが、武本と11代時隆(ときたか)の後継争いに端を発し、南北朝時代には北朝側に与し、13代武重に敗北して日向に落ち延びたという経緯があり、この言い伝えが正しければ、ひとしおの想いがあったことが思い偲ばれます。

止林城イメ―ジ


止林城(イメージ図)

 

 


 

 


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