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人権・同和教育シリーズ213

2023年05月01日

地域人権教育指導員 吉山義信先生を偲んで

かけがえのない先達

 昨年7月、泗水地区地域人権教育指導員の吉山義信先生が亡くなりました。吉山先生は教員の先達としてかけがえのない人でした。その思い出をつづり、哀悼の思いを表したいと思います。

 私と吉山先生との出会いは、もう30年ほど前になります。私が赴任した学校に在籍しており、誰にでも声をかけ、気軽に相談に乗ってくださる先生でした。まだ若く不安だらけの新任教員にとっては、頼れる先輩でした。私たちは、よく吉山先生を囲んで職員室で歓談をしました。笑い声の絶えない職員室でした。特に、顔全体がクシャっとなる笑顔が印象的でした。まさに破顔一笑、私たちはその笑顔にどれだけ励まされたことでしょう。

吉山先生が伝えたかったこと

 しかし、こと教育の取組や子どもの見方の話になると、吉山先生の目は鋭くなり、言葉に熱がこもりました。吉山先生はよく私たち教員に言われました。「あんた、そん子のことばどんだけ知っとるね?」「その子が今まで乗り越えてきたもの、その小さな子どもに込められた親たちの思いをそれだけ知っとるね?」「愚痴ったりする前にその子の家に行き、親と語りこみなっせ。その子の背景を知って、その子の心に届く授業づくりをしなっせ、学級経営や集団づくりをしなっせ。」

 実際、吉山先生の動きには目覚ましいものがありました。常に動き回り、椅子の温まる暇がないほどでした。下を向きがちだった子が顔を上げ、生きることに前向きになっていきました。吉山先生の周りには、いつもそんな子どもたちの笑顔がありました。吉山先生の葬儀には様々な世代の教え子たちがやってきました。焼香を待つ長い列は、吉山先生の一生を物語るものでした。

親たちの思い、願い

 先生の原点は、部落差別と闘う親や子どもたちとの出会いでした。世の不合理への怒りでした。

「親を恨み、ふるさとを恨んで、ここを出ていくような子にだけは、親の責任として、育てるわけにはいかんとです。」

「どんな親でも、この部落差別というとだけは、どがんもできん。逃げても逃げても追いかけてくる。だけん、子どもを強うせんと……。」

これらはある研修会で語られた親たちの言葉です。

 うれしいはずの新たな命の誕生が、同時に新たな苦悩の始まりであるという、この上ない不合理と苦しみ。子の命やこれからの育ちに対する血のにじむような親としての思い、願い。

 吉山先生は親たちとの深い関わりの中でそれを聴いて、我がものとしていかれたのでした。

 部落差別を始めあらゆる差別をなくすための学習会を組織し、学校や行政に働きかけ、その動きは少しずつ世の偏った見方や差別意識を変えていきました。

 私が吉山先生の後を継いで10か月。「菊池市人権未来都市宣言」の発布や「菊池市パートナーシップ宣誓制度」の制定などに立ち会い、そのことを実感する日々です。

 世の中は間違いなく変わります。私も信念をもって、吉山先生の思いを受け継いでいきたいと思います。


文責:地域人権教育指導員 宮崎 篤(みやざき あつし)

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