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菊池市プチ伝説No.026 秋の大運動会!?

更新日:2014年11月13日

●投稿者:M様
●投稿内容: レースの勝者はPRタイムゲット!?

 

菊池一族歴史交流シンポジウム

騎馬像

◆日時:平成26年11月29日(土)・30日(日)
 【29日:12時30分開会】◆場所:菊池市文化会館
  第1部:基調講演(童門冬二氏)
   「中世を生き抜いた菊池一族とその歴史を生かしたまちづくりについて」
  第2部:パネルディスカッション
   「菊池一族への思いと受け継がれる歴史文化について」

 【30日】
  菊池一族史跡めぐりウォーキング(8:30受付:市民広場周辺)
  市民劇 菊池一族物語「蘇れ菊池の心」 ― 文教菊池の再興をめざして − (13:30開演:菊池市文化会館)

 詳しくはこちらをクリック!
 http://www.city.kikuchi.lg.jp/kankou/q/aview/118/459.html

菊池一族の歴史

【初代:則隆公】
 1070年、太宰府天満宮領赤星荘の荘官として、肥後国菊池に来る。菊池市深川に館を構え、菊池の地名を取って名前とした。

【2代:経隆公】
 七城町に加恵諏訪宮や加恵八幡宮を建てる。

【3代:経頼公】
 筑前(福岡県)に進出する。四男の経遠は、京都で上皇の御所を警備する武者所になる。

【4代:経宗公】
 1109年、鳥羽院の武者所として京都へ行く。菊池市雪野に八幡宮を建てる。

【5代:経直公】
 山鹿市菊鹿町に八幡宮を建てる。父の後を継いで、鳥羽院の武者所になる。

【6代:隆直公】
 平氏の九州支配に反抗して大宰府を攻めるが、敗北。1185年の壇ノ浦の戦いでは、源氏と戦って敗れる。
 2度の敗北で、領地を失う。このとき、家紋を「日足紋」から「並び鷹の羽」にかえる。

【7代:隆定公】
 山鹿市鹿本町に米島八幡宮と高橋八幡宮を建て、山鹿市菊鹿町に宇佐八幡宮、菊池市に産神社を建てる。

【8代:能隆公】
 1221年、承久の乱で上皇方として幕府と戦い敗れる。

【9代:隆泰公】
 失った領地を取り戻そうとしたが、うまくいかなかった。

【10代:武房公】
 1274年「文永の役」、1281年「弘安の役」では奮戦し、「蒙古襲来絵詞」にその姿が描かれている。

【11代:時隆公】
 家督争いで、幼い頃に亡くなる。

【12代:武時公】
 天皇の綸旨をうけて博多の九州探題に討ち入ったが、全員戦死する。
 戦いの前、長男武重公に菊池に戻って天皇のために再び立ち上がるように伝えた。(袖ヶ浦の別れ)

【13代:武重公】
 新田義貞の軍に従い「箱根・竹ノ下の戦い」で千本槍を発案し名を高める。
 一族の団結のために「菊池家憲」を定める。大智禅師を迎え、聖護寺を建て禅の教えを受ける。

【14代:武士公
 南朝の力が衰えたところに当主となり苦労する。家を武光公に譲ると出家して旅にでる。

【15代:武光公】
 菊池城を取り戻し、征西将軍懐良親王を迎える。
 1359年、筑後川の戦いで、親王・武光軍が幕府軍をやぶり、南朝の力を天下に示す。
 1363年、大宰府に征西府を移し、九州が統一される。

【16代:武政公】
 父の死後も戦い続けるが高良山で戦死。また北宮阿蘇神社を建て、菊池城の改修も行う。

【17代:武朝公】
 12歳で家を継ぎ、良成親王とともに戦う。1392年、南北朝合一後も幕府への反抗は続いた。
 南朝に送った「武朝申状」は、菊池氏の歴史を明らかにした。

【18代:兼朝公】
 1419年、朝鮮軍が対馬を襲ってきたとき、九州探題とともに戦った。しかしそれ以外では、常に幕府と戦い続けた。

【19代:持朝公】
 15歳で家を継いだ。父とは違い、幕府に協力して大友氏を攻め、貿易の権利を手にした。

【20代:為邦公】
 弟たちに肥後の詫麻・宇土・八代と肥前(佐賀県・長崎県の大部分)を治めさせ、為邦公は貿易に力を注いだ。
 37歳で家を重朝公に譲って学問に励み、菊池文教の道をすすめた。

【21代:重朝公】
 1472年、家老の隈部忠直とともに孔子堂を建て、京都から桂庵禅師を招く。連歌の会を開き菊池文教の隆盛に大きな功績を残す。

【22代:能運公】
 12歳で家を継ぎ、相良氏を攻め滅ぼすが、能運公の留守中に城を獲られ、島原に逃げる。
 その後、島原で兵を挙げ城を奪い返す。また、宮崎県の西米良ムラに遺児が逃げ、そこで菊池を名乗った。

【23代:政隆公】
 14歳で当主となったが、菊池家の家臣は阿蘇家から迎えた惟長を能運公の子とし、肥後守護職につけた。
 守護の職を終われた政隆公は、最後は大友氏に捕まり、自殺。

【24代:武包公】
 菊池家の家臣は、次は詫麻家から武包公を迎えて当主にした。 
 しかし、このこと勢力をのばしていた大友氏に守護職を奪われ、武包公は島原に逃げた。菊池家はこの代で終わる。

 

 


お問い合わせ

菊池市役所 政策企画部 企画振興課 企画係
電話番号:0968-25-7250この記事に関してお問い合わせする


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